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2019年9月13日 (金)

宮城へ(その2)

ビジホの朝は…惰眠をむさぼり遅いのが常でございます (>_<)
1泊なので既に帰る日です…(今回も長いのでご容赦下さい)

・遠い奈良

そりゃー朝食付きですから、しっかり食べてしっかり出して…(^^ゞ
最終日ですがしっかり楽しみますとも。


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*ビジホの窓に映るは2日目出発の準備

本日の第一目標は滞在地の名前ともなっている「多賀城」に向かいます。
城趾に何があるのか殆ど予備知識もありませんが、近所に史跡があるのに行かないのもどうか?ということで急遽決定。

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*何処にでもある住宅地…全国どこに行っても住居の雰囲気は変らないんでしょうな

宿から北へ少し走っただけで城址に着きました。

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*小高い丘の上が城址公園(右手奥)、左奥の空地が駐車場

セロー君を留め、丘を巻くように辿っていけば…

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*なにやら案内パネルだらけ…

ぽっかり空いた丘の上の空間にパネル展示だらけ。
 
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*配置図

先ずは、全体配置図を見れば、真ん中の丸囲みが城址のうちの政庁跡。(外側の歪な四角が本来の城址)
赤いラインが南門正面からの通路(南北大路)があったところ。

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*判りにくいので模型

丘の上のであっても、もう少し平坦なところを選べばよさそうなのに、政庁の周りを囲む築地塀は勾配なりに両脇に垂れ下がっているのが不思議。

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*手前は南門跡、中央奥の1段高い部分が政庁の正殿基壇

基壇などの配置状況がわかる段階まで復元されている。
規模は大きく違えども、30数年前の奈良の平城宮跡に訪れた時は復元南門を除きこんな感じだったのを思い出す。


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*基壇

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*復元ではなくイラストで

奈良では文化庁の力でモリモリ復元建物が出来てきてますが、未だ東北までにはその力が及ばない?
というか、地元の自力復元のようです。
もっとも、なんでも公費で建物を復元すれば良いものなのか

復元すれば維持管理に相当の経費が掛かることを考えると、基壇だけであっても良いし、取りあえず建物を想像の目で見るのも悪くはないとも思います。


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*基壇上の礎石の列

こういった政庁や国分寺などの建て方は、奈良を手本とした全国共通版だったんでしょう。

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*大和朝廷と蝦夷(ヤマトから見れば)の勢力圏の変遷

ジワジワと北上する同化政策?
蝦夷(縄文の文化を継ぐ人々?)とヤマトは普段は交易、たまに動乱?…
想像ですが、生活文化が違うとはいえ年中戦っているというのも不自然ですしね…

ヤマトの中の人にも、東北に根を下ろす人々もいたりで、徐々に交わっていったのかな?
これは、ここに限ったことでは無く、弥生系と縄文系の交わりは九州から千年以上の時間をかけ、東北までやってきたと考えることも出来る。

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*さらに写真パネル

空中写真では政庁跡から伸びる南北大路が見えるが、これが実際は相当の坂なので驚く。

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*政庁の変遷ー1

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*政庁の変遷-2

多賀城市の多賀城というのは奈良時代に陸奥国の国府であり朝廷の対蝦夷前線基地的だった様です。
前線、中核であった時期を過ぎ、藤原三代の頃からか重心が他へ移っていったということなんでしょう。


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*南北大路の跡

何やら工事中ですが南北大路の復元?

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*駐車場前には管理棟…パンフレット在りました

全体的には史跡公園で案内も地味でしたが、今後は更に整備されるのかもしれません。
期待して良いのか判りませんが、出来れば直近に案内施設があるといいんですが…
(帰路の都合でパスした、東北歴史博物館がやや離れた所にありますが、それがそうなのかも?)

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*この案内が割とわかりやすいかも 

そうこうしているうちに他府県ナンバー…関西や中京圏の車がやって来たりする。

歴史マニア的には陸奥の重心のような聖地なのかもしれません。

また、後で知ったことですが、官であり歌人の大伴家持(万葉集編者)の終焉の地が多賀城ということらしい。
仕事とはいえ奈良の都から遙々ココまで来て勤め、そして最後を迎えたというのも、相当の地位まで栄達した人のことを想像すれば、やや寂しいものが感じられます。


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*殆ど見える範囲は多賀城の領域、画面奥遠くに先ほどいた政庁へ至る斜面が見える

遠い奈良の平城宮跡公園を思い出しながら多賀城跡を見れば、その遠さにも関わらず繋がりに興味深いものがあります。


・貞山堀の前に…

多賀城を後にし、本来目標である貞山堀に向かいます。

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*今日は迷わないようにスマホナビ
昨日の例を見るまでも無く、市街地走行にはこれしかありません、という事実を受け入れる (^^;) 


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*三陸自動車道の高架下を通り…

南に向かえば、昨日の宿~近隣の仙台アウトレットモールなどを経て港沿いを行く。

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*幾つか橋を渡り

貞山堀は仙台湾沿いに南北に長く、外海の影響を受けない内陸運河として江戸初期から明治期に掛けて整備されたということで、取りあえずTVで見たことのある荒浜地区に向かいます。

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*…あ、あれっ

何か見た記憶が…

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*震災遺構 荒浜小学校

この存在を知らず一瞬通り過ぎようとしたんですが、ひょっとして…と思い引き返せば荒浜小。
貞山堀に行く前ですが、震災の跡を展示する施設ですから、これは寄らない訳にはいかないでしょう…

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*うーむ…

当時報道で見ていた記憶なのか、それともNHKの特番なのか見覚えがある校舎。
それにしても、津波の爪痕が8年経過した今でもそこかしこに見られる保存建物...

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*1Fレベルは瓦礫が侵入

もちろん瓦礫の類はありませんが、当の建物を見れば生々しさが伝わってきます。

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*尊徳さんまで

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*破壊の記憶…まさに震災遺構

波に浮かぶ車や家などの漂流物が衝突すれば、当然に物理破壊は免れない。

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*1Fの教室

ただの廃校の教室とは様子が違い、何かに襲われた感じが漂う怖さ。

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*階段壁のクラック(補修跡)

相当の外力が壁に掛かったのか、内側は絵にかいたようなクラック跡。
因みに、外側には一見クラックが見えない。

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*2Fです

海水はここまで上がった…2階ですよ。

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*外に目をやれば太平洋が間近

太平洋までこの距離だと、異変を感じてからでは逃げきれないかもしれない。
なので、高い建物である小学校などへの避難が重要になる。

4階の教室は当時の状況や荒浜地区の記憶が展示されている。


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*この番組がここに招いてくれたのかもしれない

震災前からイナサ…(2006年放映ハイビジョン特集)を見たのは、貞山堀に興味があったから。
いつかあの素敵な堀沿いに自転車で走り切ってみたいという願望があったんだが、叶えることができなかった。
なので、イナサ…が放映されたときは興味深く見たものです。

震災後の荒浜の状況がNHKで特集され、その後も放映される度に見ていた。
ですが、いざ来てみるとリアルを目の当たりにして、「ここがそうなんだ」と感じざる得ない。
当然に聞こえるが、直に見て空気感のようなものを感じなければわからない、説明出来ない感覚…。


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*一見只のジオラマですが…

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*去ってしまった記憶が再現されています(手前が北)

真ん中の水路が貞山堀、集落が荒浜。
こんなに住居があった、これが殆ど流されてしまった。


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*大勢が暮らす豊かな浜だったんだと思う(上が北)

航空写真でも、浜から貞山堀、ここ荒浜小学校まで家並みが続いていた事がわかります。

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*廃校になる際に書かれたであろうメッセージ

よくある廃校メッセージとは違う。

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*このジオラマが…

子供達が作ったのか…荒浜の思い出か、未来予想の模型。
良く見ると、浜沿いには壁のような巨大な防波堤が作られている。
ふるさとを守りたい、という強い想いがこの形になったんだろうか。

生活の記憶、依るべき大切な場所を壊されたくない。
気付けば目頭が熱くなって……


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*状況の再確認 

人の記憶は失われやすいもの。
ましてや居住地から遠く離れた行ったことも見たことも無い場所の出来事とあれば増々風化しやすい。
新しい世代、その先の世代に向けても、事実を伝えていかなければならない、と思う。

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*ここでの避難状況とその後の対応

避難してきた人々の3日間の行動。

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* 床にべたっと寝るしかありません

まだ寒い3月の事、恐ろしさと疲労、辛かっただろうと思います。

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*復興は津波対策を織り込んで行われている様です

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*多段防御で浸水領域の拡大速度を抑制

ハードウェアは立派に整備されても、何故そういう構造や仕組みなのかを先に繋げていくことが、今生きている者の使命なのかもしれない。

「津波」に限っただけでは無く、これが都市部であれば大規模火災など様々な事故や混乱が生じることは想像に難くない。
なので、ここで見たことが非日常であると同時に、日常に起こった事であることを肝に銘じ、災害に備える気持ちを幾らかでもいいから持ち続ける事が「本当の大事」である気がしてならない。


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*屋上からの眺め(東側)

再び太平洋の眺め。
あの波、というか水面が高まってくるという過去の出来事が、TV映像でしかどうしても思い浮かばない。
が、これも見に来た人(自分)のリアルでもある。


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*屋上からの眺め(東北側)

よく見ると、作られた避難の丘が見える。

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*本当にありがとう

想定外の出会いでした。
ここに寄らなければ、ただ単に貞山堀を眺めて終わりだった。
来た人は現実の一端を感じることが出来る施設であると思います。



・荒浜の貞山堀

荒浜小から歩ける距離に在る荒浜地区の貞山堀。

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*来ました貞山堀

貞山掘が運河として作られたのは江戸時代初期、伊達政宗(貞山公)の時代から3度にわたり開削され、塩釜から阿武隈川河口まで50Km近くを連絡していた。
当時の嵩のある物資運搬は舟ですから、荒天時でも安定して運べる運河は画期的だったのではないかと思う。
明治時代に現在の規模となり完成したものの、昭和の頃(戦後)に築港に伴い運河の連続性が一部で途絶えたとのこと。

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*壁高欄と立派な親柱が物語る古式豊かな時代の橋(深沼橋)

流されずに原型を良く止めています。

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*貞山堀(南、荒浜集落跡を望む)

震災前の姿を実際は見ていないので、想像若しくはTVの記憶からすれば両岸に綺麗に家が並んでいたはず。

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*橋の袂に記録の碑

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*振り返れば荒浜小
 
橋から見える荒浜小までは茫漠たる草地ですが、ここにも家並みがあった。

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*太平洋(仙台湾)

浜にでればちらほらと散策する人たちが見られる。

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*南方を望む

写ってはいませんが、すぐ近くに慰霊塔があります。
何人も人が出て、その周りの草むしりとか手入れを行っている…
元の荒浜地区の方々だと思いますが、NHKの番組通りで除草が習慣になっているというか、コミュニティが続いている…
荒浜のアイデンティティーが続いているということに軽い驚きを覚えます。


慰霊碑の前で軽くですが合掌、帰路につきます。


・淡々と帰路

時間があれば、昨日のリベンジで山形境の板谷峠に行けないかな…
などと心のどこかに引っかかっていたものの、時刻は既に11時過ぎ。
これから400Km近く走ることを考えれば無理すべきではない。
なので、
相馬あたりまでは下道、雰囲気など感じながら走りたい思います。

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*復興された閖上(ゆりあげ)地区は建物も僅か

名取川を渡れば閖上地区。
当時の報道でもよくでていた漁港ですが、既に土地はきれいに整備されており…
空間に対し建物が妙に少ないが、正にこれからなのかもしれません。(港には朝市とか在るようです…)

少し探訪しても良かったんですが既に荒浜小で頭が一杯、いろんな意味でこれ以上入らないという有様。
申し訳ないですが先に進みます。

Tagajyouyuriage
*青い線が1日目、赤い線が2日目 多賀城~荒浜~閖上(by カシミール)

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*美田園は高架の鉄道(仙台空港に向かう)がある再開発的な街並み

県道10号線(塩釜亘理線)は、ただひたすら南へ向かう。


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*仙台空港をくぐるトンネルへ(県道10号)

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*ひたすら穀倉地帯の岩沼市

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*依然来た時に通った亘(正面方向)から鳥の海(左方)へ向かう分岐点、後ろの高架は常磐道

亘理市街に入る前に県道10号とは別れ県道38号線に曲がります。

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*少しづつ建物が少なくなってくる

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*この辺りは在来道的な感じですが周りの雰囲気もなかなかな感じ

田畑が段々と少なくなり、家屋も見かけなくなれば高まる荒涼感。
こういう感じが凄く好きで、延々と走っていたくなるんだが、変?
(お住まいの方スミマセン)


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*古墳の様な避難の丘

あちこちにちらほら見ることのできる避難の丘の一つに休憩がてら寄ってみました。

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*9mという数字が人生を変える時がある

通路は真っ直ぐ登れる階段と、グルグル回るマイマイ井戸みたいなスロープで構成されている。
それにしても階段のステップが擬木で登りにくいこと夥しい…普通の階段で良いのになぁ。

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*頂上からの眺め(山側を望む)

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*比較的新しい道…復旧された道が多い

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*いやー、果てしない感じがたまりません

道が急に未整備になったと思ったら宮城・福島県境でしたが、その先ですぐに改修道路になる。
県境などで良くあるパターンで、どちらかの整備が追いついていないのかな?

車も殆ど通らないので…と思っていると後ろから速い車が…油断大敵です (^^ゞ


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*新地火力発電所

東北電力系のようです。
実はたいして地図も見ず南に走っていた。
土地勘ゼロなのでこの時は原町火力かな?あれ?とも思っていた (^^ゞ

なので、高速に入るんべーと慌てて海沿いを離れ山方面へ。


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*相馬と思っていたが、あれっ?(R113)

もう帰るだけなので、地図見ないモード。
せっかく遠くまで来たんだから、立ち止まり調べるべきであった。
今頃の反省。


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*新地ICから常磐道に乗った

乗った後に気付く、1区間早すぎたと…
だが東京まで遠いことを考えると(時間的体力的)、まぁ仕方ない。

昼飯と休憩でSAに入る。


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*立派な南相馬鹿島SA(カデッセかしま)

結構な人出でした。

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*南相馬の案内板

いろいろ見どころがあるようですが、ON高速ではどうしょうもない。
市街地の様子も見たいし…機会を整えてまた来たいものです。


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*おぅよく来たな、式なお出迎え

なかなかにリアルな相馬野馬追人形さん。

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*で、皆さんレストランに…

SAを後にすれば、いよいよフクイチの近くを通ります。
て、見えるほど近くはないですが…

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*行く手には放射線の強さを示す装置

双葉、大熊町あたりは帰還困難区域上なのでバイクでは一般道を走れない。
高速道が南北の唯一移動ルートとなる。

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*たぶん避難困難区域辺り?

高速道の下を見ても、何がどう違うのか判りません。

線量的には通過する位なら全く問題ないレベルと聞くが、一つ南の富岡・楢葉町に入ると正直少しホッとする。
ここもリアルだし、かつライブな所。

そんな中でフクイチで廃炉作業に当っている人たちには、本当に頭が下がります。


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*割と高いところを走ります…いわき市

いわき市は何時も行く所ですが、北から入るのは初めてです。


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*閖上~いわき(常磐道)…(by カシミール)

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*ここで降りればハワイアンズ

明後日は車で再びここを通る予定。
いわき市まで家族連れなんですが、だからか
不思議な感じ。

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*雨ですじゃ

しばらく通り雨の中を行く、カッパ着る暇なし。

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*日立近辺はトンネルが多い

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*この坂を下れば関東平野

常磐道の特徴と言うほどでもないですが、北から来れば日立の先で急こう配で下る。
堆積した地質である関東平野と、相当に古い地質の山々が東北へと続く境界が、この坂道辺りに存在する。
常磐道が海沿いを行かず山に入るかのルートをとるのも、硬い地質故に平地が少なく致し方ないんだろうなと思ったりする。


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*常磐道…つくば辺りまでは快調

事故か何かで渋滞予告。
進めば進むほど伸びてくるんで、つくばJCTで圏央道へ迂回することにしました。

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*夕日に向かって走る

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*圏央道は続くよグルっと首都圏

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*圏央道の菖蒲PAにて

菖蒲PA(久喜白岡JCT先)ここで仮眠。
圏央道は休憩施設が少なく辛い。
居眠りっぽくなって来たので、30分くらいベンチで仮眠。

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*何だか木星の雲みたいだ

起きたら暗くなっていた (-_-;)
後は関越道まで出て、知ったいつもの道で帰還するのみ。

色々見て感じることが出来た相変わらずの弾丸ツーリングでした。
出来れば2泊したかったなー


(本日の走行距離 426Km 総走行距離2日で853Km、平均燃費33.9Km/ℓ) 

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